超整理法2 捨てる技術(著:野口悠紀雄)
「超整理法2 捨てる技術」(著:野口悠紀雄)を読みました。
これは以前紹介した『超整理法1 押出しファイリング(著:野口悠紀雄)』の続編的扱いです。
大本となった本は1999年に発売された「超整理法3 とりあえず捨てる技術」を元としているのですが、文庫化にあたり、ナンバリングが「2」になり、タイトルも「捨てる技術」になっています。
本当はこちらのみを読みたかったのですが、一応ナンバーが付いているということで、以前紹介した「超整理法1 押出しファイリング」も読んだわけです。
内容は、ある特定の仕事方法を要求する状況下での整理法、捨てる方法などを紹介しています。
この「ある特定の仕事方法を要求する」という部分ですが、本の中では「マゼラン的な仕事」と評しています。簡単に説明すると、先がわからない仕事、という意味でしょうか。何かしら探究して答えを求める仕事と言い換えてもかまいません。主に知的活動を要する仕事のようです。著者本人が研究者であったり、著者であることが類推する一つの鍵になるかと思います。
逆は「マニュアル遵守型」と称し、何か決まったものを繰り返す仕事としているようです。
このように、まず、この本自体が限られた対象にしか役に立たないものと言えるかもしれません。
さて、この本を読むに至った経緯は前回の『超整理法1 押出しファイリング(著:野口悠紀雄)』に述べたとおりです。
『捨てる!技術(著:辰巳渚)』のamazon.co.jpでのカスタマーレビューでこの本を読むよりかは、今回紹介した本の著者のものを読むほうが良いというのがあったからです。
さて、実際に今回読みましたが、文中に面白い記述がありました。それは「捨てる!技術(著:辰巳渚)」に対する批判的な意見です。
実は「捨てる!技術(著:辰巳渚)」の中に「超整理法2 捨てる技術」を批判するような記述があり、それに対する反論という形で述べられています。
この部分を読んで、一つ考えられる状況があります。
それは、amazon.co.jpのカスタマーレビューが野口悠紀雄本人、もしくは近しい人が書いた可能性が出た、ということです。レビューを読むと、特にそう感じられます。
これらを勘案してこの本に対する評価としては、この本はすぐに捨てよう、というものでした。
釣られた感じがして、正直気分は悪いです。内容も自分の都合だけを述べているような記述も多いですし、何より、発想が広い場所を使えることが前提となっており、会社でデスクのみであったり、家でさまざまなものがある中で生活している人にはまったく役に立たない内容でもありますし。
「超整理法1 押出しファイリング」は良かったのですが、この「超整理法2 捨てる技術」はお勧めするに値しません。