ホワイトカラーエグゼンプションの導入
ホワイトカラーエグゼンプションとは何かというと、やった仕事の内容に応じてお金を払うという意味合いでしょうか。そのため、やるべき仕事を終えればとっとと帰って遊んでもいいし、そうでないのであれば通常で言うところの残業などをしていき、仕事を終わらせる必要が出てくる制度です。
このホワイトカラーエグゼンプションを導入するかどうかの話が出たときに、企業は残業代を払わずに仕事をさせる気か、ということで非難が先にたち、結局頓挫した案件です。
では、実際にどうなのかというと、やはりしっかりと働いた人に対して正当な対価が支払われるのは、ある種当たり前の話で、本来ならば採用されて当然な方法です。
では、なぜそこまで非難が出たか。
単にこの制度が導入されると、自らが無能なために仕事時間が増えるという考えによるものも当然あるかと思います。役に立たない正社員が、自らの立場を守るため、批判をすることもあるでしょう。
ですが、それだけではないように思えます。
たぶん、根底には、日本の経営者を信用できないというのがあるのではないでしょうか。
それは、実際にサービス残業をさせられている現状や、利益が出ていても社員等にしっかりと配分がされていないことから、仮にホワイトカラーエグゼンプションを導入しても、利益は経営者や株主に配分されるだけで、結局はサービス残業をし放題にされるだけなのでは、と。
制度が良くても運用する人がいまいちであれば、やはりうまく機能しません。
ただ、だからといって、無能な人材を社内に抱え、それなりの給与を払っていくことも、企業にとって、そして、その同じ企業に働くまともに仕事をしている人にとっても好ましくないでしょう。
世の中にはどうしても現状維持を望む声が大きくなるため、こうした別の形を受け入れるのには時間がかかるとは思いますが、最終的には経営者も社員も、この流れに乗った方が良いように思えます。
そうすることで、結果として企業がより高い発展を果たせるのではないかと。
人のことはあまりとやかく言う資格はありませんが、あまりにも経営者に小物が多いのかな、と。もうちょっと一段上を見て動くような人がどんどん出てきてもいいのではと思います。
コメント
たまの休み
ホワイトカラーエグゼンプションがうまくいかない理由のいくつか。
1:全ての仕事が等価値ではなく、難易度の低い仕事と高い仕事の相関を正確に決められないということ。
→ある部署は難易度の低い仕事しかない。また別の部署は高い仕事しかないという場合、それぞれの適正な仕事量とは何かを誰も答えられない。難易度の低い仕事をどんなにこなしても、結果を考慮した仕事量という観点で難易度の高い仕事に及ばない場合は、無限に仕事をしなければならなくなる。悲しいことにそういう仕事の方が実際には多い。
2:1のような事情があるにもかかわらず、自分の行う仕事を自由に選べない。
→ホワイトカラーエグゼンプションを機能させるためには、理想論ではあるが、社員が自分の力量を鑑みて、自由に仕事を選択できる土壌が必要となる。能力のある人間は、難易度の高い仕事を選択したいだろうし、そうでない人は難易度の低い仕事を選択したい(高い物を選んでも構わないが・・・)と思う。だが現実にはそんなことをしていたら組織として成り立たなくなる。
この理想と現実のギャップを埋めるために給与格差などでお茶を濁そうとするのだが、さらに管理が難しくなって泥沼となる。結果として膨大な金と手間がかかるのに、管理職、平社員ともに不平・不満が噴出することになる。
とある
この制度はあって当り前だと思っています
うちでもこの制度が言われる以前から同じ意味合いのことを
してはいますが頓挫するとは思いませんでした
基本給、時給がある以上この制度はどの業態においても
あるべきだと思います
というか、実際にこれをやっている所も多いのではないかと
・・・
めろんぱん
成果報酬制が悪いとは思わないが、何かと問題はあります。
有能な人と無能な人の対価が同じでも、面白くありません。
生活残業する場合も、成果報酬制だと困ります。
皆の思惑が微妙に一致しないので、導入は無理でしょう。
導入するなら、まず公務員からやって欲しいものです。