老人が若者を殺す日本社会

今の若い年齢の人は、老人に殺されているようなものです。

老人を生かし続けるために馬鹿高い年金等を払わされ、結果、若者が自由にお金を使うことのできない環境になっています。

また、この年金は会社側も負担しなければならず、結局、そうした支払いの必要の無い派遣労働者中心の雇用体制になり、若者の正規雇用の妨げにもなっています。

そうした状況を考えて見ますと、老人が若者を殺すという表現は、決しておかしくないのではないでしょうか。

ここ最近、寿命の高年齢化が進んでいることが問題となっています。

老人が生きすぎるために先に述べた年金や社会保障などの面での負担が大きくなり、結果、現役世代が割りを食うわけです。

ここで、寿命とは何か、という点を改めて考えてみたいものです。

決して、薬をガブガブ飲ませ、延命させていくことが寿命なのかと。憲法で謳っている生活レベルというのは、こうまでして果たさなければいけないものなのかと、疑問に思うことがあります。

生きたい、という気持ちは当然わかりますが、かといって、ここまでのことをしてまで生かす必要性とでもいうか、そうしたものはあるのかは疑問です。

もし、長生きしたいのであれば、健康に過ごせるように生活すればいいだけですし、病院などに通うようになるのであれば、働き盛りの時にお金をためておけばよいだけの話ですから。現役世代がそこまで面倒を見るために資金を用いる必要性が果たしてあるのでしょうか。

今一度、「健康で文化的な最低限度の生活」の定義を考え直す必要があるのではないでしょうか。

薬で延命させ続けることが最低限なのかどうか、生活保護などで過保護にしすぎるのが最低限度の生活なのか。

以前、テレビで老人の生活保護に関する話が出ていましたが、食費が2万円とのことです。年をとり、食べる量が減るにもかかわらず、2万円の食費は明らかに過剰でしょう。食べる様子を見てみたら、ふりかけなんかを買って使っている始末。

その金の使い方は違うんじゃないかと指摘したいものです。

老人の余命を20年間増やすことにより、若者のその後の60年間を殺す現在の状況は擁護しがたいものがあります。